ホーキング織野の

サラリーマン、宇宙る。

セルゲイ・コロリョフを語る。

セルゲイ・コロリョフとは何者?

コロリョフはソビエトの宇宙開発を指揮した人物です。 米国のフォン・ブラウンと米ソ宇宙開発競争を戦い、世界初の人工衛星、世界初の有人宇宙飛行の栄誉をソビエトにもたらしました。

宇宙開発競争の当時、コロリョフの名は秘匿されており、資料には単に「設計主任」とだけ書かれていました。
これはソビエトの宇宙開発の中心人物が西側に狙われることを恐れたソビエト当局の措置でした。



元々はロケット技術者として働いていましたが、冤罪によって懲役10年の刑を受け、シベリアの強制収容所に送られました。
第二次世界大戦がはじまると、兵器開発のため強制労働から解放されモスクワに戻されました。



戦後はドイツに行き、ナシスのロケット工場から多くのドイツのロケット技術者をソビエトに連れ帰りました。
(この時点ですでにフォン・ブラウンは米軍に投降していました)



やがてスプートニク1号の打ち上げが成功すると、ソビエト当局はコロリョフの名誉回復を認めました。
コロリョフはソビエトの宇宙開発にとってなくてはならない人物です。そのため常に身辺警護のボディーガードが付いていました。



ボスホート計画のころになると、強制労働の無理がたたったらしくコロリョフは体調を崩すようになりました。
1966年1月14日、結腸ガンの手術中にこの世を去りました。
モスクワ郊外のコロリョフ市はコロリョフの功績を称えて名づけられました。



コロリョフの没後、ソビエトの宇宙開発はコロリョフの部下だったミシンが後を継ぎましたが、米国に先んじていた頃の勢いは失われていきました。



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2011/03/12



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