ホーキング織野の

サラリーマン、宇宙る。

ボスホート計画を語る。

トップページ宇宙開発と探査の目次初期の有人ミッションボスホート計画

ボスホート計画とは

ボスホート計画は、ボストーク計画に続くソビエトの有人宇宙飛行ミッションである。
ボスホート宇宙船は、ボストークを改造し2-3名が搭乗可能になった。
ボスホート2号で世界初の船外活動(EVA、宇宙遊泳)も成功した。



1号、2号のみが打ち上げられ、3号以降は中止された。



ミッション

ボスホート1号

ボスホート1号は1964年10月12日にバイコヌール宇宙基地から打ち上げられた。
3名のクルーが搭乗し宇宙船内での役割分担を検証した。
複数名のクルーが搭乗した世界初の宇宙飛行となった。
ミッション中の映像は地上局に送信された。



ボスホート2号

ボスホート2号は1965年3月18日に打ち上げられた。
2名のクルーが搭乗し、そのうちのアレクセイ・レオーノフが世界初の船外活動(EVA、宇宙遊泳)も成功した。



ただし、この船外活動は危機一髪の状態だった。
宇宙空間からボスホート2号に戻る時、足からエアロックに入り、全身が収まったら頭上のハッチを手で閉めるという手筈だった。
ところが、レオーノフの宇宙服がパンパンに膨らんでしまったために、エアロックに入ることができなかった。



やむなく、頭からエアロックに入ったが、狭いため手がハッチに届かない。
そこで、真空中でありながら宇宙服の空気を少しずつ抜き、やっとのことで姿勢を反転してハッチを閉めたのだ。



危機は去ったが、ボスホート2号には次のトラブルが待っていた。
船内の酸素濃度が異常に上昇し爆発の危険が高まった。



次にシステムの異常のため自動制御による帰還は不可能になり、手動で大気圏突入を行うことになった。



大気圏ぬ突入すると機械船が帰還カプセルから分離する。
ところが、分離するはずの機械船が分離しなかったため船体は予想外の加速に見舞われた。



不運はこれで終わらなかった。 一連のトラブルの影響で、予定していた場所から2000キロメートル離れた地点に着陸した。
救援隊との合流は着陸から2日目だった。



なお、レオーノフは1975年のアポロ・ソユーズテスト計画に、ソユーズ19号の船長としてこのミッションに参加した。



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参考文献・サイト

Chronology of U.S. Astronaut Missions (1961 - 1972)
NSSDC:Voskhod 1
NSSDC:Voskhod 2
Walking to Olympus

2010/10/17



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