1990年代の月探査を語る。
1976年8月のルナ24号以来、80年代を通して月を訪れた探査機はなかった。
1990年代になって月探査機が復活し、合計3つのミッションが実施された。
JAXA(日本)のひてん、NASA(米国)のクレメンタインとルナプロスペクターだ。
(クレメンタインはNASAの他に米軍も参加している)
21世紀になるとESAのスマート1が打ち上げられ、こにに続いて各国の探査計画が具体化してきた。
特に、米国の新宇宙政策発表によって、NASAの月回帰が鮮明になったことにより、今後の月探査はアポロ期以来の活況を呈することになる。
90年代の月探査の大きな収穫は、月の極域に氷が存在する可能性が示唆されたことだ。
新宇宙政策には、将来の月滞在が明記されている。
極域の氷は月における重要な資源となるだろう。
21世紀初期の月探査は、将来の月滞在に向けた月面のマッピングと氷の探査を主眼にしている。
ここでは、1990年代に実施された3つのミッションひてん、クレメンタイン、ルナプロスペクターについて解説する。
ひてん
ひてん
出展:JAXA:HITEN
ひてんは、将来の惑星探査の技術を検証するために、宇宙科学研究所[ISAS](現JAXA)によって1990年1月24日に打ち上げられた工学実験衛星である。
当初は、長円軌道で地球を周回する人工衛星として運用され、この間に10回ほど月に接近しスイングバイを実験した。
最初のスイング直前(1990年3月)のに搭載していた小型衛星「はごろも」を分離した。
ひてんは、1992年2月に地球周回軌道から月周回軌道へに移行した。
ミッション終了時の1993年4月11日、月のクレーター「フレネリウス」に落下した。
ひてんのミッションを通じて、スイングバイ等の軌道制御技術が検証された。
この技術は以後の探査ミッション「はやぶさ」「のぞみ」にも展開された。
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クレメンタイン
クレメンタイン
出展:NSSDC:Clementine
クレメンタインは米軍とNASAの共同プロジェクトである。
月を解明することよりも、宇宙空間にさらされた状態でセンサーや各種部品の性能を試験することが主な目的であった。
クレメンタインは、可視光以外にも紫外光、赤外光等、広範囲の波長で月面をマッピングした。
この過程で、極地域のクレータの底に氷が存在する可能性を示すデータが得られたのだ。
1994年5月、地球近傍小惑星1620ジオグラフォスを観測するために、クレメンタインは月周回軌道から離脱した。
その後、クレメンタインは故障し、ジオグラフォスの観測は実現しなかった。
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ルナ・プロスペクター
ルナ・プロスペクター
出展:NSSDC:Lunar Prospector
ルナプロスペクターは月表面の組成、磁場、重力、極域の氷を確認することを目的とした探査機である。
ルナプロスペクターには、中性子分光計が搭載されている。
この中性子分光計が極域での水素の存在を検出したのだ。
月は真空である。
その表面には、太陽風や宇宙線が直接照射される。
月の表面にある水素が太陽風や宇宙線を受け、中性子を放射したのだ。
月の表面では水素はガスとして存在できない。
水素は水分子の形態で存在すると考えるのが妥当だ。
中性子は極域の氷が放射したものなのだ。
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参考文献・サイト
NSSDC:Clementine
Clementine Project Information
Lunar Prospector
NSSDC:Lunar Prospector
Hiten
JAXAひてん
2008/10/20
2009/11/19