スプートニク・ショック
スプートニク・ショックとは
ともに連合国として戦った米国とソビエトであったが、第二次世界大戦が終わると、両大国は互いに覇を競うようになった。
国際地球観測年は電離層や大気圏、宇宙線を観測する国際プロジェクトとして、1957年7月1日から1958年12月31日の間に行われた。
当初、米国民は自国の科学的優位を確信しており、アメリカが世界で最初に人工衛星と打ち上げて、国際地球観測年に大きく貢献することを当然のように考えていてた。
そのような中、ソビエトが突如としてスプートニク1号の打ち上げ成功を世界中に発表した。(1957年10月4日)
しかもソビエトは電波の周波数を公開していたので、世界中でこのスプートニク1号の電波をキャッチすることができた。
ソビエトが人工衛星を打ち上げたということは、いつでも米国に核爆弾を落とせることにも繋がってくる。
これは、単にソビエトに先を越されただけの話ではなく、国土の安全も脅かされる事態になったのだ。
これは米国民に大きな衝撃と危機感を与えた。
これをスプートニクショックと呼ぶ。
米国はスプートニク1号に対抗するため、海軍が主導するヴァンガードTV3の打ち上げを試みるが、発射2秒後に爆発し失敗に終わった。(1957年12月6日)
これにより米国は危機をさらに強めることになる。
米国初の人工衛星エクスプローラー1号は、アメリカ陸軍弾道ミサイル局によって打ち上げられた。(1958年1月31日)
米国は陸軍や海軍が個別に宇宙開発していたのでは能率が悪いと考え、一つの組織としてNASAを1958年10月1日に発足させた。
スプートニク1号の突然の打ち上げから約1年後のことである。
なお、スプートニク1号は打ち上げから22日後に電池を使い切り、92日後に大気圏に再突入して消滅した。
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参考文献・サイト
Sputnik and the Origins of the Space Age
Sputnik and The Dawn of the Space Age
NSSDC
50 Years of NASA History
2014/10/19