ホーキング織野の

サラリーマン、宇宙る。

アレクセイ・レオーノフを語る。

アレクセイ・レオーノフとは何者?

アレクセイ・レオーノフは、世界初の船外活動(EVA、宇宙遊泳)を成功させた人物です。



ボスホート2号は2名のクルーを乗せて1965年3月18日に打ち上げられました。
アレクセイ・レオーノフは、そのクルーのうちの一人です。
船外活動中、レオーノフはブレジネフ書記長と通話しその模様はソビエト全土に中継されました。



華やかに見える船外活動ですが、実態は危機一髪でした。
宇宙空間からボスホート2号に戻る時、足からエアロックに入り、全身が収まったら頭上のハッチを手で閉めるという段取りです。
ところが、レオーノフの宇宙服がパンパンに膨らんでしまったために、エアロックに入ることができなかったのです。



やむなく、頭からエアロックに入ったのですが、今度は狭いため手がハッチに届きません。
そこで、真空中でありながら宇宙服の空気を少しずつ抜き、やっとのことで姿勢を反転してハッチを閉めたのです。



危機は去りましたが、ボスホート2号には次のトラブルが待っていました。
船内の酸素濃度が異常に上昇し爆発の危険が高まったのです。



さらに、システムの異常のため自動制御による帰還は不可能になり、手動で大気圏突入を行うことになりました。



大気圏に突入すると機械船が帰還カプセルから分離するように設計されています。
ところが、分離するはずの機械船が分離しなかったため船体は予想以上の加速に見舞われました。



不運はさらに続きます。一連のトラブルの影響で、ボスホート2号は予定していた場所から2000キロメートル離れた厳寒の森林地帯に着陸したのです。
救援隊との合流のために、着陸から2日間待たなくてはなりませんでした。



アレクセイ・レオーノフは、その後、ソビエトが進める月着陸ミッションの船長に任命され訓練を重ねましたが、ミッションそのものが中止になりました。



なお、レオーノフは1975年のアポロ・ソユーズテストミッションに、ソユーズ19号の船長として参加しました。



ソニーマガジンズ「アポロとソユーズ」は、アレクセイ・レオーノフが著者です。

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参考文献・サイト

NASA:United States-Soviet Space Cooperation during the Cold War
NSSDC:Voskhod 2

2014/10/15



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