ホーキング織野の

サラリーマン、宇宙る。

アポロ・ソユーズテスト計画を語る。

トップページ宇宙開発と探査の目次初期の地球低軌道ミッションアポロ・ソユーズテスト計画

アポロ・ソユーズテスト計画とは

米国とソビエト連邦が初めて共同で実施したミッションがアポロ・ソユーズテスト計画だ。
アポロ宇宙船とソユーズ宇宙船をドッキングさせ、宇宙での国際的な救難活動や将来の宇宙開発を共同で行うための技術確認が目的だ。



スプートニクショックで始まった米ソの宇宙開発競争は熾烈を極めた。
アポロ宇宙船とソユーズ宇宙船は、宇宙開発競争での米ソそれぞれの象徴であった。
この二機がドッキングし、協同ミッションを行ったことにより、宇宙開発競争は幕を下ろした。



アポロ・ソユーズテスト計画のミッション

技術的課題

アポロとソユーズは異なったドッキング機構を持つ。
二つの機体を正常にドッキングさせるために、新たなドッキング機構としてAPAS-75が開発された。
また、宇宙船内の空気の成分も米国とソビエトで異なっている。
ソビエトの船内の空気は地上とほとんど同じだが、米国の船内は純酸素で低気圧に保たれている。
ドッキング後は、ハッチを開ける前に両方の宇宙船の空気成分と気圧を均等にする必要がある。



クルー

このときの米国側のクルーの中にはマーキュリー計画で選抜された宇宙飛行士(オリジナル・セブン)の一人スレイトンがいました。 マーキュリー計画では、オリジナル・セブン全員が宇宙へ行く予定であったが、スレイトンは搭乗直前に不整脈が見つかったため宇宙へ行けなかった。
その後、スレイトンは健康を回復し、16年のブランクを経て宇宙へ出ることができたのである。
(スレイトン本人は自分が病気だとは認めておらず、健康であることを医師に証明するまで10年かかったと言っている)



一方のソビエト側の船長は、ボスホート2号で史上初の宇宙遊泳を成功させたアレクセイ・レオーノフだ。
ソビエトのクルーのクバソフは、ソユーズ6号のミッションで、宇宙で初めて溶接作業を行った人物である。



ハッチが開くと、両方のクルーは互いに抱き合い、握手を交わした。
その後、ソユーズの船内で食事があったが、そのときソビエト側がジョークを仕掛けてきた。
ウォッカのラベルの貼られたチューブを米国のクルーに渡した。



もちろん、ミッション中はアルコール厳禁である。
米国のクルーが拒否しても、アレクセイ・レオーノフは自分のウォッカのチューブを吸い始め、なおも勧めてきた。
やむなく米国のクルーも同様にチューブを吸ったが、中身はボルシチ(東欧諸国のスープ)だった。



ミッションの経過

ソユーズが打ち上げるとき、テレビで中継された。
ソビエトでは、宇宙船の打ち上げが中継されたのは初めてのことである。



ミッションの期間、アポロとソユーズは合計2回、通算47時間7分に渡ってドッキングした。



目的を達したアポロソユーズテスト計画であったが、大気圏突入準備中に深刻なトラブルが発生した。
毒ガス(四酸化二窒素)が船内に充満したのである。
この影響でクルーの一人が意識を失い、スレイトンも吐き気を催した。

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参考文献・サイト

APOLLO-SOYUZ
KSC

2011/01/18



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