サリュート宇宙ステーションを語る。
サリュート宇宙ステーションとは
サリュートはソビエト連邦によって開発された宇宙ステーションである。1号から7号までが打ち上げられた。
これらのうち、2号、3号、5号は軍事を目的するミッションでアルマースという別名で呼ばれていた。
なお、サリュート1号は世界初の宇宙ステーションである。
サリュート1号
サリュート1号は1971年4月19日に無人で打ち上げられた。
サリュート1号の打ち上げの4日後(4月23日)、ソユーズ10号がサリュート1号に接近したが、技術的な問題からドッキングできず、そのまま帰還した。
同年6月7日、ソユーズ11号がサリュート1号とのドッキングに成功し、3名のクルーがサリュート1号で23日間滞在した。
この間、シリウスのスペクトルや地球大気圏が観測された。
3名のクルーがは6月29日にサリュート1号を離れ、帰還の途についたが、ソユーズ11号の空気が漏れ全員が死亡した。
その後、サリュート1号は無人のままテスト運用が続けられ、10月11日に大気圏に突入し消滅した。
サリュート2号
サリュート2号は1973年4月4日に無人で打ち上げられたが、その直後に内部の空気が抜けてしまった。
その後も太陽電池パネルも故障し、電力がダウンしたため、ソビエトはサリュート2号の運用を断念した。
結局、サリュート2号は一度もクルーが搭乗することもないまま、5月28日、大気圏に突入し消滅した。
サリュート2号は、軍事を目的とした宇宙ステーションなのでアルマースという別名を持っている。
サリュート3号
サリュート3号は1974年6月25日に無人で打ち上げられた。
翌月、ソユーズ14号がドッキングに成功し、2週間かけてミッションを行った。
サリュート2号は、軍事を目的としたアルマースなので、ミッションとは地上の偵察を意味している。
8月には、ソユーズ15号がサリュート3号を訪れたがドッキングに失敗し、そのまま帰還した。
翌年の1月24日に、大気圏に突入し消滅した。
サリュート4号
サリュート4号は、1974年12月26日に無人で打ち上げられた。
1975年1月にソユーズ17号が、5月に18号がドッキングに成功し、それぞれ2カ月間、クルーが滞在した。
11月には無人のソユーズ20号が自動操縦でサリュート4号へのドッキングに成功した。
サリュート5号
サリュート5号は1976年6月22日に無人で打ち上げられた。
サリュート5号は、軍事を目的とした宇宙ステーションなのでアルマースという別名を持っている。
ソユーズ21号、23号、24号、25号によるミッションが計画されていたが、目的を達したのは21号と24号のみである。
23号はサリュート5号に接近したもののドッキングを断念し帰還、25号はサリュート5号の燃料切れのためミッションそのものが中止された。
サリュート5号は、回復の見込みのないまま大気圏に突入し消滅した。
サリュート6号
サリュートの中で、最も寿命が長かったのがサリュート6号である。
1977年9月に無人で打ち上げられてから、1982年に放棄されるまで運用された。
この間、16名のクルーがサリュート6号を訪れた。
サリュート6号以前の宇宙長期滞在の記録は、米国のスカイラブでの84日間だ。
96日間の長期滞在がサリュート6号で行われたため、これが世界記録になった。
その後も、サリュート6号で185日間の長期滞在が打ち立てられた。
サリュート6号と7号は、それまでのサリュートから設計が大きく変わっている。
その大きな特徴の一つが長寿命化だ。
長期間にわたる有人ミッションには、補給が必須である。
このためサリュート6号は二つのドッキングポートを持つ。一つがクルーを運ぶソユーズが使用するポート、もう一つが無人補給機プログレスがドキングするポートである。
1982年にはコスモス1267号がドッキングした。
サリュート5号までで第一世代、サリュート6号、7号が第二世代、その後のミールが第三世代と呼ばれている。
サリュート7号
最後のサリュートが、サリュート7号である。
サリュート7号は6号とともに第二世代で、構造はおたがいに良く似ている。
1983年にコスモス1443号が、1985年にコスモス1686号がドッキングした。
サリュート7号に211日間滞在したレーベジエフは、宇宙での生活を詳細に日記に書いた。
長期に渡る宇宙滞在が人間の心理に与える影響を知るうえで貴重な資料になっている。
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参考文献・サイト
松本信二(監修)『宇宙に暮らす』裳華房,2002
The Salyut 4 Space Station
Salyut 1、
Salyut 2、
Salyut 3、
Salyut 4、
Salyut 5、
Salyut 6、
Salyut 7
2010/10/16
2011/01/23